歴史的偉人の宝篋印塔:山形県編

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仏母山金勝寺
住 所 ・山形県山形市山家本町2丁目
所 属 ・仏母山金勝寺
埋葬者 ・最上(斯波)直家(金勝寺殿月潭光公)
形 状 ・宝篋印塔(宝塔?)
文化財 ・−
指定日 ・−
備 考 ・金勝寺は暦応3年に夢窓国師が開創したと伝わる曹洞宗の寺院で、当初は臨済宗の寺院でしたが、瑞雲院の三光存辰和尚が曹洞宗に改宗開山しています。山形城2代城主最上直家の菩提寺で、江戸時代には寺領100石が安堵されています。
参考:山形県の歴史上の人物の御墓
大日坊
住 所 ・山形県鶴岡市大網字入道
所 属 ・湯殿山総本寺 大日坊瀧水寺
埋葬者 ・大日坊・注連寺・本道寺・大日寺の先達
形 状 ・宝篋印塔
文化財 ・−
指定日 ・−
備 考 ・大日坊瀧水寺は大同2年に弘法大師空海が開山、弟子である渡海が開基したと伝わる寺院で、湯殿山総本寺として信仰を広げました。宝筐印塔は寛永年間に湯殿山に関わる真言四ヶ寺(瀧水寺大日坊・注連寺・本道寺・大日寺)の協力で建立されました。
極楽寺
住 所 ・山形県鶴岡市加茂
所 属 ・光明山極楽寺
埋葬者 ・境内裏山から出土
形 状 ・花崗岩製(3基)
文化財 ・山形県指定文化財(建造物)
指定日 ・昭和28年(1953)2月20日
備 考 ・ 光明山極楽寺は建久年間に開創された寺院で、寛政年間に鶴岡善宝寺第二十六世大雲和尚により曹洞宗に改宗しています。宝篋印塔は裏山から発見されたもので、鎌倉から室町時代に制作され、近畿地方の特徴が見られます。
祥雲寺
住 所 ・山形県村山市楯岡湯沢
所 属 ・龍門山祥雲寺
埋葬者 ・最上満国
形 状 ・総高85cm、塔身高25cm、幅30.5cm
文化財 ・村山市指定文化財
指定日 ・昭和43年9月10日
備 考 ・祥雲寺は、應永年間に最上満国が開創したと伝わる寺院で、宝篋印塔は嘉吉2年に死去した満国の墓碑として建てられたと推定されています。学術的には馬耳形隅飾突起は直角に立ってる事から室町時代初期に制作されたとしています。
大物忌神社蕨岡口之宮
住 所 ・山形県飽海郡遊佐町上蕨岡松ケ岡
所 属 ・大物忌神社蕨岡口之宮
埋葬者 ・本間四郎三郎光丘の「逆修」墓
形 状 ・総高512cm、金剛界五仏の彫刻
文化財 ・遊佐町指定有形文化財
指定日 ・平成18年3月30日
備 考 ・酒田の豪商で、庄内藩主酒井家よりも権勢を誇った本間家の3代当主本間四郎三郎光丘が寛政12年に生前の「逆修」墓として、篤く庇護した大物忌神社蕨岡口之宮の境内に建立したもので、当時の本間家の富と鳥海信仰の篤さが窺えます。
山寺立石寺
住 所 ・山形県山形市大字山寺
所 属 ・山寺・宝珠山立石寺
埋葬者 ・鳥居忠政
形 状 ・宝篋印塔
文化財 ・−
指定日 ・−
備 考 ・宝珠山立石寺は旧山形藩主最上家と繋がりが非常に強かった為、最上家改易後に入封した鳥居忠政から冷遇されました。跡を継いだ鳥居忠恒は関係修復を計り、境内に忠政の供養塔となる宝篋印塔が建立されています。

宝篋印塔一覧
名称 制作年 文化財 指定日 住所
・風立寺 ・鎌倉時代 ・市指定 ・昭和40年3月5日 ・山形市大字下東山字三宝岡
宮の下宝篋印塔 ・鎌倉時代 ・市指定 ・昭和43年9月10日 ・山形県村山市大字白鳥
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