歴史的偉人の宝篋印塔:京都府編

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宝徳山大頂寺
住 所 ・京都府宮津市金屋谷
所 属 ・宝徳山大頂寺
埋葬者 ・徳川秀忠・徳川家光
形 状 ・宝篋印塔
文化財 ・−
指定日 ・−
備 考 ・宝徳山大頂寺慶長11年に宮津藩初代藩主京極高知が開創した浄土宗の寺院です。寛永年間に2代藩主京極高廣が犬の堂山頂付近から現在地に境内を遷し、高廣の正室である茶々姫は池田輝政と徳川家康の次女督姫との娘であった事から、徳川秀忠・徳川家光も慰霊の為に境内には供養塔が建立されています。
参考:京都府の歴史上の人物の御墓
景徳山安国寺
住 所 ・京都府綾部市安国寺町寺ノ段
所 属 ・景徳山安国寺
埋葬者 ・足利尊氏・母の清子・妻の登子
形 状 ・宝篋印塔
文化財 ・綾部市指定文化財
指定日 ・昭和45年3月20日
備 考 ・景徳山安国寺は正暦4年に開創した臨済宗東福寺派の寺院です。建長4年に勧修寺重房が代々の菩提寺とし、暦応元年には全国に設けられた安国寺の筆頭に定められ、康永元年には足利尊氏が南禅寺の天庵妙受禅師を招く等篤く遇しています。
天橋山智恩寺
住 所 ・京都府宮津市天橋立文珠小字切戸
所 属 ・天橋山智恩寺
埋葬者 ・和泉式部の歌塚
形 状 ・宝篋印塔、鎌倉時代後期、花崗岩製
文化財 ・宮津市指定文化財
指定日 ・−
備 考 ・天橋山智恩寺は大同3年、平城天皇の勅願寺として開創されたと伝わる臨済宗妙心寺派の寺院です。延喜年間には醍醐天皇から勅額を賜る等信仰を広め、本尊の切戸文殊菩薩は安倍文殊、亀岡文殊、中山文殊と共に日本三文殊の1つに数えられています。
天橋山智恩寺
住 所 ・京都府宮津市天橋立文珠小字切戸
所 属 ・天橋山智恩寺
埋葬者 ・稲富一夢斎
形 状 ・宝篋印塔、慶長十六年辛亥二月六日の銘
文化財 ・−
指定日 ・−
備 考 ・この宝篋印塔は京極高知が宮津藩の藩主時代に稲富流砲術家である稲富一夢斎の追善供養の為に建立されたものです。祖父の稲富直時は、渡唐して鉄砲の秘術を習得した人物で、一夢斎は当初一色氏に仕え、その後は細川氏に仕えたものの、慶長5年に発生した関ヶ原の戦いでガラシャ夫人が自刃した直後に出奔した事が問題視され、細川忠興を諫めた徳川家康に仕えています。
千躯地蔵
住 所 ・京都府宮津市難波野
所 属 ・千躯地蔵
埋葬者 ・−
形 状 ・宝篋印塔
文化財 ・−
指定日 ・−
備 考 ・応永年間に大江越中守の発願によって制作され、長い年月と共に一度は地中に埋もれましたが、江戸時代に入り、それらを掘り起こし奉斎するようになったとされます。周辺には寺院も数多く点在している事から当地が聖域だったかも知れません。

宝篋印塔一覧
名称 制作年 文化財 指定日 住所
・為因寺 ・文永2年 ・国指定 ・− ・京都市右京区梅ヶ畑奥殿町
・高山寺 ・鎌倉中期 ・国指定 ・− ・京都市右京区梅ヶ畑栂尾町
・深広寺 ・鎌倉時代 ・市指定 ・− ・京都府城陽市奈島久保野
・金胎寺 ・正安2年 ・国指定 ・− ・相楽郡和束町原山鷲峯山
・誠心院 ・正和2年 ・国美術 ・− ・京都市中京区新京極六角
・勝林院 ・長和2年 ・国指定 ・− ・京都市左京区大原勝林院町
・二尊院 ・鎌倉後期 ・国美術 ・− ・京都市右京区嵯峨二尊院
・覚勝院 ・鎌倉後期 ・国指定 ・− ・京都市右京区嵯峨釈迦堂
・雲岩寺 ・鎌倉後期 ・町指定 ・− ・与謝郡与謝野町岩屋
・大宮神社 ・鎌倉後期 ・町指定 ・− ・綴喜郡宇治田原町荒木
・宝篋印塔 ・鎌倉後期 ・町指定 ・− ・綴喜郡宇治田原町南小
・宝篋印塔 ・応安7年 ・市指定 ・− ・南丹市日吉町四ツ谷
・三宝院墓地 ・南北朝頃 ・国指定 ・− ・京都市伏見区醍醐東大路町
・元明院 ・南北朝 ・市指定 ・− ・京都府亀岡市旭町谷川
・旧海老谷会所跡 ・応永年間 ・市指定 ・− ・京都府南丹市日吉町四ツ谷
・威音寺 ・応永11年 ・市指定 ・− ・南丹市日吉町四ツ谷風呂ノ本
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